香川真司選手の人生から学ぶ①

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トルコの強豪クラブ、ベジクタシュJKに移籍し鮮烈の2ゴールでデビューを飾った香川真司選手。ビッククラブのマンチェスターUでもプレー経験もあり、日本代表の背番号10番を長きに渡って背負っていましたね。

香川真司選手のこれまでの人生から①ではプロになれた秘訣、②ではプロとして活躍できた秘訣を学びたいと思います。

プロになるまで(高校2年生にしてJ1リーグからのオファー)

兵庫県神戸市で生まれた香川選手。幼稚園の頃からサッカーを始め、小学1年から地元のマリノFCに所属。その後、東舞子SC所属時の小学4年で神戸市選抜にも選出されています。神戸市選抜で出会った恩師のコーチの指導を仰ぎ、小学5年時に神戸NKサッカークラブに所属します。

香川選手は、高学年といえばTVゲームとか色々なことに興味を持つのに、脇目も振らずサッカーに明け暮れていたそうです。

神戸市の選抜までの実力なら、卒業後は近くにあるヴィッセル神戸やガンバ大阪、セレッソ大阪など有名なJリーグのJr.ユースに進みプロを目指すのがセオリーだと思います。

しかし香川選手は違いました。

「JリーグのJr.ユースに行くとプロになるのはトップ昇格しか選択肢がなくなってしまう。そう考えたら町のクラブへ行く方がプロへの近道」と思ったそうです。

そして更に意外な決断をします。

県内ではなく、関西から遠く離れた宮城県にあるFCみやぎバルセロナを選びます。そのきっかけを作ったのが恩師のコーチだったそうです。

小学生の時点ではっきりとプロになるための未来を見据えていたことが本当にすごい事だと思います。

12歳の少年が単身で仙台に引っ越すわけにはいかず、中学生の寮もなかったためホームステイでの生活だったそうです。途中から祖母が仙台まで来て同居してくれたりと、周りのサポートを受けながら、自分がプレーしたかった個性重視の町クラブを選んだことがサッカー人生を大きく変えました。

町クラブでの才能の開花

FCみやぎバルセロナは「長所や特徴を伸ばす指導を何よりも大切にし、個を力を伸ばす」ことを最優先にしていました。香川選手は最大の武器であるドリブル突破をとことん突き詰めていきました。

また、「同じレベルなら下の学年の子を使う」という方針もあり飛び級でプレーしていた香川選手。早いうちから上のレベルで自分のスキルを磨いていきました。優れた選手も多く、当時U-15日本代表としてAFC U-17選手権を目指していた1つ上の選手の存在もあり、サッカーに対する意識も日に日に高めていきました。

そして、中学2年生でナショナルトレセンU-14に選ばれ、U-15日本代表にも選出されています。

香川選手は高校進学時、迷いなくFCみやぎバルセロナJr.ユースからユースにそのまま昇格。寮に入ることもでき、地元の高校に通いながらサッカーに力を注げるようになり、完全に家族から独り立ちした香川選手はさらに自立心を高めていきました。

高校1年生の時に全日本クラブユースサッカー選手権に出場し、高校2年生時は飛び級でU-18東北代表に選出されました。

そして、なんと高校2年生にしてセレッソ大阪とFC東京からオファーを受けセレッソ大阪に加入しプロに駆け上がりました。

下部組織以外で高校卒業前にプロ契約を結んだのは香川選手が史上初です。本当に凄いことですよね。

まとめ(プロになれた秘訣)

香川選手がプロになれた秘訣は

・心の底からのサッカー好き。

・プロになるためのベストな選択を自らで見極めて進んだこと。

個を育てる環境にずっと身を置いていたことや、サッカーを親元を離れ自立したこと、近くに日本代表に選出されていた選手がいたことも大きいですよね。

負けん気でサッカーをしてきたというよりは、本気の本気でサッカーが好きで成長していったように感じますね!!


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