中島翔哉選手の人生から学ぶ②

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2019年冬の移籍市場で日本人最高年俸でカタール王者アル・ドゥハイルへ移籍した中島翔哉選手(24歳)。サッカー選手のキャリアはまだ道半ばですが、中島選手のこれまでの人生から②プロとして成り上がれた秘訣を学びたいと思います。

プロとしての階段(順風満帆ではなかった、、、)

2012年高校在学中の9月に当時の監督に抜擢されJリーグ初出場でゴールを挙げました。翌10月には18歳と59日というJリーグ最年少記録のハットトリックを樹立しました。

しかし、2013年の新監督のもとでは先発出場が激減し翌年の2014年には出場機会が見込まれないことからFC東京に移籍、カターレ富山にレンタル移籍しています。同年8月にはFC東京に復帰もU-23チームでのプレーが続くなど、怪我も重なり2017年まで途中出場での出場も多かったようです。

それでも2014年より手倉森監督率いる五輪日本代表に選出され10番として存在感を発揮、活躍が評価され2017年8月にポルトガル1部のポルティモネンセSCへ期限付き移籍が決定しました。海外での活躍も評価され2018年3月、24歳で初のA代表に選ばれました。

慢心しない高い目標と練習量

中島翔哉選手はカターレ富山時代では試合に出ながらも、なんと1日5、6時間個人練習していたそうです。プロになっても慢心することなく練習の虫だったのですね。FC東京の選手達が「翔哉ほどのサッカー小僧は見たことがない」と言って驚くほど、合間を見つけてはボールに触っていたと言います。

さらに五輪代表時代にネイマールに刺激を受け、「プレーを楽しむ」「自信を持つ」ことの大切さを学び。「楽しむ」ということを哲学としています。

また16歳の時に「22歳でバルセロナ入団」「W杯でブラジルに勝つ」「バロンドール獲得」と夢を語り、大きな目標を掲げて自らを鼓舞していたそうです。

まとめ(中島翔哉選手の成功の秘訣)

中島選手がプロサッカー選手となり、更にJ1、各世代の日本代表での活躍、海外クラブへの移籍となり上がることが出来た秘訣は以下の4つを挙げたいと思います。

・体格のハンデや、プロ入り後も環境や出場できなかった時も言い訳せず、技術を磨いた異常なまでの練習量。

・母親のためにも絶対にサッカー選手になるというブレない強い気持ちを持ち続けた。


・「プレーを楽しむ」を哲学とし、上手くなりたいという純真さを持ち続け、自信を持ち続けた。

・「22歳でバルセロナ入団」「W杯でブラジルに勝つ」「バロンドール獲得」と大きな目標を掲げて自らを鼓舞し続けたこと。

今後の活躍も本当に楽しみです。

バルセロナ入団!!実現してほしいです!!

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