大迫勇也選手の人生から学ぶ①

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ドイツブンデスリーガ、ブレーメンに所属し、日本代表のエースとして活躍している大迫勇也選手。「大迫半端ないって」が2018年の流行語大賞となりましたね。大迫選手のこれまでの人生から①ではプロになれた秘訣、②ではプロとして活躍できた秘訣を学びたいと思います。

プロになるまで

3歳から鹿児島の田舎でサッカーを始めた大迫選手。小学3年生から地元の少年団に所属し、全国大会とは無縁のごく普通の選手だったといいます。

当時の指導者の記事によると「特に負けず嫌い」でよく1対1を果敢に仕掛けてきたそうです。

また、自分で考えてアクションを起こすことの重要性を学んでいました。大迫選手は少年団は仲良く楽しくサッカーをしていたことが、その後もずっとサッカーが好きでいられたことだと言っています。

そんな「ごく普通の選手」だった大迫選手が12歳の中学進学の時、「サッカーで勝負したい」と母に意志を伝え自分の力で指導者から練習環境も調べ、鹿児島英館中学校の体育コースのセレクションを受け合格。

この自分の意思で決めた選択は、のちのサッカー人生を大きく変えたことは間違いないですね。

中学時代は週5日みっちりとトレーニングが積める環境が用意され、少年団の楽しい雰囲気と違い、厳しい指導に必死で食らい付いていった大迫選手。

1年の頃は特別な選手という印象はありませんでしたが、2年から3年時、一気に身長も伸びてプレー面で急激なレベルアップを遂げました。

中学3年時には絶対的エースに君臨し全中県予選で優勝し、その冬には当時、城福監督率いるU-15日本代表候補に初招集され大迫選手自身もプロを強く意識するようになったといいます。

大きな挫折を経験

提携校の鹿児島城西高校に進学した大迫選手、1年からレギュラーで活躍し高校入学と同時にU-16日本代表にも選ばれています。

日本代表にも選ばれ順調に飛躍していった大迫選手ですが高校2年時に大きな挫折を経験します。

U-17日本代表候補に選ばれるも最終メンバーに落選しFIFA U-17ワールドカップの出場を逃しています。柿谷曜一朗選手、齋藤学選手など、当時のJユース所属選手らの壁に阻まれる結果になりました。

正直、僕はU-17日本代表になんてそもそもなかな選ばれるものでも無いし、贅沢な挫折だなぁと思いました、、、

ですが、大迫選手にとってのこの大きな「挫折」が彼を変えたことは間違いありません。

高校3年時は、JFAプリンスリーグ九州1部では得点ランキング1位、高校総体では大会優秀選手、部史上初の鹿児島県大会3冠達成に貢献。

全国高校サッカー選手権大会では1大会個人最多得点記録の10得点を樹立しチームの準優勝にも貢献した。

そしてJリーグ6クラブの争奪戦の末、見事鹿島アントラーズに入団を果たし、

中学進学の時に自らの意思で決めたサッカーでの勝負に勝つことが出来ました。


まとめ(プロになれた秘訣)

大迫選手のプロになれた秘訣は、

・自らの意思で決断したこと

中学校の進路で自分の意志で決断。「ごく普通の選手」だったこの時に、サッカーで勝負したいと本気の本気で母親に伝えるなんてなかなか出来ないことだと思います。すごい意思ですよね、、、

・U-17日本代表の落選という大きな挫折を経験した悔しさをバネに努力したこと。

これまでU-17代表から日本代表になった選手は少ないそうです。挫折を経験して飛躍する選手は多くいますが、腐ってしまう選手も多いですよね。僕はすぐに腐ってしまうタイプでした、、、、

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